2、3歳の頃だったか、パズルの下の溝の線が見えていない気がする、ないかのように見ていない、、完成させるのに苦労していました。ピースの形だけを見て、はめていく。それもすごいけど、視界にすらいれていない目線の動きが気になっていました。
ピアノの楽譜は拡大したらわかる。しかし、まだ幼いから見えにくいと判断していました。
楽譜はほとんど見ていない、また、耳が良かったので、聞いてすぐに弾いてしまう、しかし先生は見るように指導する。子供は耳が良いので目からの情報より耳で補っている、、そんなことを感じました。
小学校時代の国語の音読も、すぐに暗記するために、読みスピードに問題があることもわかりませんでした。
子供のクラスは1人でみんなの前で読ませることもなく、列で読ませるので、余計に気づきませんでした。(列で読ませること自体は良いと思います)
ただ、家で新しい本を読ませたときのつまり、違和感があり、定規に穴があいたような、読みをサポートするグッズを使ったりしたことがありました。しかし、うちの中で読むには、音読することもないため、影のある場所でもや〜っと読んでいたようです。毛布を被ったり、暗い場所で読んだり、髪の毛で暗くしたりで、私も「そんなに暗くしたら眼が悪くなるよ!」とよく言い、学習塾でも「もっと眼を離しなさい」と言われていたようですが、暗い方がよかったんだと今は、わかります。
他にはタイルの溝(目地)が窪みに感じない。平面的に見える。小学3、4年の頃には言葉で伝えてくれました。市民プールのシャワーのブースで、足元がタイルで、上から見たときは、平面的なのに、足の裏からはザラザラする、これは溝がある?の?温泉の前に敷いてある石のタイルの溝(目地)が、平に見えるよと教えてくれました。見た目と体感が違うということで本人もなんかへんだな、、と違和感があったようです。
検査などでは特定できない課題も、日常の生活に理解のためのヒントは多く含まれています。
1つ1つの現象だけでは把握が難しいですが、下記のような複数の特徴がつかめます。
・耳からの情報で補っている
→視覚より耳を優先する何らかの理由がある
・音読を暗記できるので理解は良好にも関わらず、「読み」に課題がある
→視覚の問題の可能性
・暗い場所を好んで、近距離で読む
→暗い場所を好み、その環境で読めるのならば、その環境の方が読みやすい何らかの理由がある
・大まかには形状を把握できるのに、溝などの細かな立体視が難しい
→立体視はできるが精度に課題がある
これらの特徴は、課題が「視覚」によるものの可能性や、大まかには見えているが細かな領域の把握に課題があること、などを示唆しています。
後は類似の視覚症状との共通性を検証することで、原因の推測を行います。
視力検査での「異常」は、あくまでも視力に基づいています。
そのため、概形が見えている時点で、ある程度の視力が保たれていることから、視力的には「異常なし」と判断されたのではないでしょうか?
どの検査もそうですが、検査で特定できる問題は、その検査が対象としている範囲の問題だけです。
今は血液検査や画像検査、生理検査など多種多様な検査方法がありますが、痛みや疲労或いは感覚的な味覚や匂いで機器による数値評価が困難であるように、測定できない問題も多く存在します。
視覚としては「まぶしさ」などについても、一部測定できる機器もありますが、一般的ではありません。
今の医学で検査ができる範囲には限界があり、「異常なし」と伝えた言葉をより適切に表現すれば、「行った検査の範囲では問題が検出できず、原因が分かりませんでした」になると思われます。
何故か「問題がなかった」と言葉足らずの表現を使用することが改善すべき点だと考えます。
「溝がある?」という感覚、似ている経験があり少し分かります。
私の場合は細部ではなく粗大ですが、色違いの階段やホテルなど床と廊下の色が
カラフルで違う場合、下りの段差があるのかないのか分からない時があります。
段差があると思ってフラットだった場合は、膝がガクッとなるだけですが、
反対にないと思って段差があると、捻挫したり転倒するので、足先で床をなぞる
ようにして1歩を踏み出します。
ホテルのように室内では部屋と廊下に段差がある訳がないと頭で分かっていても
つい確認作業をしてしまいます。
前の人が居れば、その人がガクッと下がれば段差があるというような認知をしています。
車の運転で、初めての道では、前の車があれば、ついていくだけなので楽ですが、
居ない場合、カーブが分かりづらい時があり、白線をすごく意識します。
たまにですが、直前まで分かりづらく、かなりスピードを落とす必要がある時もあります。